原作「著作権法逐条釈義」序文
章忠信
1986年10月、私は全くの偶然から政府の著作権主務官庁、つまり当時の内政部著作権委員会に身を投じました。その後、王全録主任委員の三度に渡る強力な推薦を受けることができ、ついに1995年、行政院の在職、有給、全額公費奨学金による1年間の留学の機会を得て、Washington, D.C.のNorthwest区にあるAmerican UniversityのWashington College of Lawにおいて著作権法の権威であられるPeter Jaszi教授のご指導の下、著作権法制を研究しLL.M. 学位を取得することができました。
1996年12月、当時の主任委員であられた林美珠女史及び陳淑美セクション・チーフの支持の下、単身スイスのジュネーブにある世界知的所有権機関(WIPO)本部に10日あまり滞在し、国際著作権法制の世紀の大事件であり、世界中の注目を集め、強大な影響力を有する通称「インターネット著作権条約」と称される「著作権に関する世界知的所有権機関条約」(WCT)及び「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約」(WPPT)の外交会議を身近で体験いたしました。
末端の実務から出発して、その後、米国著作権制度の洗礼を受け、デジタルネットワーク科学技術の発展下における国際著作権法制の目覚しい変化にさらされ、私は、このような一連の過程を経て会得した著作権に関する専門知識をどのようにして簡単な方法により国内に広く伝えることができるのだろうということを考え始めました。
1998年末、友人である陳錦全女史(現職、中原大学財経法律系助教授)の推薦と当時の中原大学財経法律系馮震宇主任の支持、錢世傑氏の協力を得て、大学のホストコンピュータに公益ウェブサイト「著作権筆記」を開設し、著作権に関する専門知識のウェブ公開はスタートしました。2000年初頭、長期運営とシステムの安定性を考慮し、「著作権筆記」は中原大学のホストコンピュータを離れ、専属のドメインネーム(www.copyrightnote.org)を取得し、現在に至ります。
長期に渡り専属・公益的なウェブサイトを運営することは容易ではありません。専門知識の蓄積と狂信者にも似た無我の奉仕に没頭することが必要であるばかりでなく、他者に負けない強固な持続力が必要です。公務、教学及び研究上の必要性と、「生涯のうち少なくとも何か一つぐらいは有意義なことを見つけて実践しよう」との単純な発想から「著作権筆記」は日々更新され続けました。私の命のある限り、今後も中断することはないと思います。
一人の著作権にかかわる実務家によって運営される「著作権筆記」の内容には、あまり多くの理論は存在しません。純粋に正確な著作権概念を伝達し、実務上の難題と争点を解決します。このウェブサイトには、各方面からアクセスがあります。権利侵害を受けた著作権者、著作権侵害を行った者、司法界の弁護士、検察官及び裁判官、企業経営者、学会の教授及び学生、そして台湾だけにとどまらず、大陸から、たまにですが英語で交流するしかない外国人もいます。彼らについては、私が彼らに著作権に関する専門知識を提供しているというよりは、著作権問題に対する私の考察が彼らによってさらに広い視野と認識を得ていると言ったほうがよいでしょう。
よくあるのは、同一事件の原告と被告、司法関係者が一定の期間、質疑のためにアクセスしてくることです。「著作権筆記」は、専門家としての道徳理念に基づき、すべての質問について当事者にその他の当事者から質問があったという事実及び立場を洩らすことは絶対にありません。著作権法の規定及び適用上、提供する専門的意見は一つしかありませんが、原告、被告及び司法関係者はそれぞれの立場に基づき各自の対応について検討すればよいだけのことであり、そうでなければ、客観性及び説得力がありません。
弁護士界からのアクセスに関して、「著作権筆記」は専門的なコンサルティングサービスを無償で提供し、弁護士がこれに基づき、再びクライアントに有償サービスを提供することを気にしないのか? というような疑問を感じる人もおられるでしょう。公益ウェブサイトとして、各界に提供した回答は転じて著作権法の関連規定及び適用にフィードバックされた後に「著作権筆記」において公開され、再び広く各界の目に触れることになります。問題提起された弁護士の方々が、彼らにより整理されたその興味深い質疑応答について私に報酬を支払うことがないとしても、私は彼らの質疑を題材にしてこれを専門分野の問答に転化し再び公開し、これらを各界と分かち合うことで、自らの専門能力を高め、「著作権筆記」のクオリティを高めているのです。実際、どのような方からの質問も拒む理由はありません。深遠的な見地からも、他者の運営形態から影響を受けて自己の公益推進の理想と初志を抑制する必要はないでしょう。
私は、「著作権筆記」の運営過程において、人助けが自分助けになることを実感しました。私は、著作権専門分野においては自信がありますが、インターネットプログラミングについては完全に手も足も出ません。Rossanaさんは、私が2000年初頭、ウェブサイトが中原大学のホストコンピュータを離れ、独立して運営を開始し、試行錯誤の段階にあった頃に救いの手を差し伸べてくれた大変親切な方です。私は、いまだ本人にお会いしたことがありませんし、本名も存じ上げません。Rossanaさんは、電子メールによる綿密なコミュニケーションにより、無償で「著作権筆記」のデータベースに対して、対応するプログラムを設計し、新たにウェブ環境を整備し、「討論園地」を開設し、「著作権筆記電子報」システムを創設し、「著作権筆記」にインタラクティブなディスカッションと自動通知機能を追加してくださいました。これらはすべてウェブ管理をする上での重要な機能です。この一連の出来事は、ネット社会活動における高度な信頼関係の表れと言ってよいでしょう。
台湾の知的財産権専属責任機関である経済部智慧財産局は、1999年1月に設置されました。従いまして、私も著作権業務の移管に伴い、内政部著作権委員会から経済部智慧財産局著作権セクションに転任し、著作権法制の調整と対外的交渉の第一線に立つ業務に従事いたしました。これには、「著作権に関する世界知的所有権機関条約(WCT)」及び「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約(WPPT)」に対応する著作権法改正、「Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu独立関税区」の名義による台湾と対岸の中国大陸の世界貿易機関(WTO)加盟、台湾の著作権保護及び法律改正にかかる米国との交渉、WTO知的所有権の貿易関連の側面に関する協定の理事会(WTO/TRIPS Council)による台湾の著作権法制の監視等が含まれ、私個人の著作権に関する専門知識の成長と向上を促しました。
著作権分野に身を投じたことは、全くの職務上の偶然ですが、お粗末だった台湾の著作権法制が国際基準に合流するまでを見守ることができたことは何と幸運なことでしょう。一公務員として、専門分野に従事し、法制の現代化構築と対策の研究立案に参与できたことは、とてもすばらしいことでした。このことから、誰もが著作権業務は私の一生涯の仕事であると信じて疑いませんでした。2002年下半期、継続的な米国経済貿易交渉は、台湾の著作権法制の方向性に非常に大きな影響を与えました。専属責任機関の人事異動に伴い、私はだんだん著作権業務とは単純な著作権に関する議題だけではなく、政治、国防、外交及び国際経済貿易に及ぶ事務であり、行政と専門的業務の間には距離があると感じ始めました。行政システムにおいては、行政が専門的業務を重視しなければ、組織が順調に機能し、政策が着実に徹底され、国家全体の利益バランスが取れません。しかし、行政人にとってこれは難しく、専門性の養成は容易なことではありません。私は専門分野における自由と独立の確保を選択し、長期的に台湾の著作権制度の健全な発展に貢献することが行政の運営継続にも有益であると考えました。これは、2003年10月、私が教育部に職場を移し、関連業務部門が著作権関連問題を解決することに協力し、引き続き国内著作権法制の発展を見守ることとなった主要な理由です。
著作権実務の従事で重要なのは、国際著作権法制の掌握、著作権関連法律条文の熟知及び国内外の実務運用の理解であり、高学位は必ずしも必要であるとは言えません。以前から多数の知人先輩方から学術理論を強化するために引き続き博士課程に進学すべきだと強く勧められましたが、私は、博士課程に進学すれば専門分野に従事するための個人的な時間が少なくなることから、あまり関心がありませんでした。しかし、職務内容の変化と環境の変化に伴い、だんだん自らの可能性を更に広げるべきであり、能力の及ぶ限り、自ら制限を設けるべきではないと自覚するようになりました。努力の甲斐あって、2005年、国立交通大学科技管理研究所科技法律科の博士課程に入学することができました。最年長の博士課程の学生として、若い世代の修士・博士課程の学生と机を並べ、しばしば「後生おそるべし(後生可畏)」と感心すると同時に、私は単に「先行者」として優位に立っているにすぎず、知識の上で一時的にリードしているにすぎないと自らを戒めております。博士課程進学により、私の専門研究に費やす時間も分割せざるを得なくなりました。しかし、学生たちの異なる視点からの討論の中で多くの啓発が得られること以外に、劉尚志所長が力を入れている法学実証研究と経済分析は、著作権分野の関連問題の観察と思考に対して別の活力を生み出しており、これは博士課程で得た最大の実益だと思います。
「著作権筆記」のインターネット運営モデルは、インターネット利用者の情報取得に資することですが、すべての人がインターネットを通じて情報取得ができるわけではありません。書籍は依然として情報流通の重要なパイプ役を担っております。ネット配信は、便利、迅速、修正可能、強力な検索ツールというメリットを追求していますが、反対に情報を書籍に転化する必要性も認めざるを得ません。五南文化事業機構の書泉出版社の社員の皆様の協力を得て情報を引き続きインターネット上で公開するという条件の下、書籍発行業務が一歩一歩進められました。2001年に発行した「著作権大哉問」(2004年再版は「著作権博適500問」)も、「著作権筆記」の「著作権大哉問」コーナーから生まれたものです。このコーナーは、各界からウェブサイトに寄せられた関連質問事項を一問一答形式により整理したもので、現在ウェブ公開しています。2004年の「著作権法第一堂課」は、「著作権筆記」の「著作権概念漫談」の各短編を再編集し、事例ガイドとすることにより、親しみやすく奥深い内容になるよう配慮した観念的な解説書です。
今回の「著作権法逐条釈義」もこのような方法に基づき、約2年間費やして一歩一歩、思考と整理を繰り返し、簡明で分かりやすい文章により、条文ごとに立法趣旨と適用状況を説明し、著作権専属責任機関の重要な解釈及び司法機関の関連判決の要旨を加え、現行の条文規定の意味を理解しようとする読者に対する参考資料として十分耐え得るものとしました。書籍のメリットは閲覧と携帯に便利であること、デメリットは更新又は修正が難しいことです。本書のメリットは、いつでもネットにつないでネット版の最新情報を確認し、著作権法の最新動態を把握できることです。
「著作権法逐条釈義」ネット版を執筆中、インターネットを通じて対岸の中国社会科学院法学研究科の博士課程に在籍する日本人の萩原有里さんと知り合い、お互いに営利目的なしということで合意し、彼女が逐条釈義を日本語に翻訳しました。この日本語版を中国語版の後ろと彼女個人のウェブサイト(http://legalio.com/index.html) に掲載することで、情報発信の拡大効果が得られました。彼女は日本語翻訳作業中、中国語版の誤植と難解な表現をたびたび指摘してくださり、このことは、簡明で分かりやすい表現を追求する逐条解説にとって大変有益なものでした。
これまでの道のりを振り返ってみると、努力とモチベーションの維持は、すべて他力本願ではなく自力であるとはいえ、専門知識の向上の機会を与えてくださった諸先輩方には誠に感謝しており、「著作権筆記」の開設と発展に協力してくださった皆様方には、ここに心よりお礼申し上げます。当然、家族の支えも「著作権筆記」がここまで成長し続けてこられた一因です。毎晩、自宅で夕食をとるよう努力しているものの、公務の余暇はすべてウェブ管理に費やされ、夫として、父としての役割に至っては、おそらく言葉よりも私自身がお手本となって見せることで果たしていると言ってよいでしょう。このような口やかましくない父親であることが、もしかすると息子たちが良い子に育っている理由なのかもしれません。
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