翻訳は果たして創作活動でしょうか?著作権法の定めによれば間違いなくそうでしょう。しかし、極端なことを言えば、文章の意味など理解していなくても字面を追って機械的に翻訳することは可能です。単にその作品に使用されている言語を少し理解してさえいれば誰でもできることなので、世の中には日本人にも理解不能な怪文から、正確かつ美しく分かり易い訳文まで、実に幅のある翻訳文が存在しています。翻訳には誤訳を除けば、絶対無二の「正解」というものが存在しません。訳そうとする文章が、法律専門論文なのか一般文書なのか、また、読者が専門家なのか非法律専攻の一般人なのかによっても、選択し得る訳語が左右されることもあると思います。かつて先人が訳した訳語が、百年の時を経て、不適切であるとして変更される場合もあります。また、中国語と日本語は同じ漢字を使うにもかかわらず、意味又は語感が必ずしも同一ではない場合もあるという点にも注意が必要となります。わたくしが翻訳した「台湾著作権法逐条解説」にも当然、未熟な部分が存在することは避けられず、これをどう克服していくのかがわたくしの終生の課題であり、皆様からのご意見を心よりお待ちしております。
章忠信先生はかつてわたくしに「翻訳は創作に比べて難しい。既存の内容に拘束され、自ら自由に展開する空間がないからだ」とおっしゃいました。このように翻訳者の苦労を理解してくださっている章忠信先生から快く翻訳の許諾をいただき、翻訳中にわたくしの疑問に一つ一つ丁寧に適時回答していただけたことは、翻訳者冥利に尽きるというものであり、ここに改めてお礼申し上げます。
翻譯是否屬於創作活動?如果僅根據著作權法的規定,當然屬於創作活動,但事實上很難判斷。因為只要掌握作品所屬於的語言,任何人都可以按字面來翻譯,即使不懂原文的意思也可以完成翻譯。在實務中,有的譯文連日本人也看不懂,但有的譯文卻非常準確、易懂且文雅。除了誤譯之外,翻譯內容沒有絕對的「唯一標準的答案」。譯者首先要判斷,作品是法律專業論文還是一般文件,同時,要根據讀者是專家還是非專業人員,來選擇適當的用詞。一百年前所翻譯的文章,今天的讀者來看很多地方翻譯的不恰當,所用詞語隨著時代發展所變化。此外,還需要提到的是,中日翻譯具有特殊性,雖然中文和日文都使用漢字,但有時含義或者語感不一定相同,因此,我認為我翻譯的「台灣著作權法逐條解釋」也會出現不恰當的表達,怎樣克服這個問題是我終生努力的課題,誠請各位指教。
章老師以前對我說過,「翻譯比創作難。受限於既有內容,不能有自己隨意發揮的空間」。章老師能夠這麼理解譯者的辛苦,放心地允許我翻譯他的作品,而且在翻譯過程中,及時並認真地一一回答我的問題,作為其作品譯者我感到非常榮幸,再次向章老師表示感謝。
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